毛利教授のマグネティックス研究 発見・発明談話

高性能マイクロ磁気センサ アモルファスワイヤMIセンサ発明ものがたり

毛利佳年雄

 

 II   スマートフォン、腕時計用電子コンパス と MIセンサ(前項からの続き)

上記のように、スマートフォン等の電子コンパスの出現は、磁気センサにとって厳しく淘汰される戦場になっています。アモルファスワイヤMIセンサはその原理が1993年に発見されて2017年現在で24年が経過していますが、上記のように8項目以上の仕様を同時にすべてクリアする高性能マイクロ磁気センサであることが再評価され、その新規性が益々輝いているように見えます。ここでは、電子コンパス技術を念頭に、MIセンサの原理の発見や磁気センサ回路の発明の経緯を含め、その構成のポイントを外観します。

 

 1980年代は、パーソナルコンピュータ(パソコン;PC)が急速に高度化した時代でした。時代のスローガンは「マルチメディア時代の到来」でした。社会の気分としては、現在のスマートフォン時代の出現に似たところがあります。コンピュータ技術では、32ビットがキーワードであり、それまで分割処理していた漢字一字が1回の処理でできることになります。と同時にメモリの大容量

化が必要になり、磁気記録分野でも高感度の磁気ヘッドが必要になりました。しかし、それまでのMR素子やホール素子では感度が不足し、深刻な問題となりました。これに対して、1988年にパリ大学のA. Fert 教授(2004年ノーベル物理学賞)が強磁性膜/導体膜/反強磁性膜の多層膜での

Giant Magneto-Resistance (GMR) 効果を発見し、マイクロ寸法の磁気ヘッドでMRの数倍の磁界検出能力があることを発表しました。しかし Fert教授の発見は、導体中の伝導電子のスピン磁気モーメントが外部磁界の影響を受けることを見出した点に新規性があり、世界的にスピンエレクトロニクスと呼ばれる新たな研究領域を生み出しました。高感度のGMR形磁気ヘッドは、その後1996年に東北大の宮崎照宣教授が発見したトンネル効果MR(TMR)へと発展し、大容量磁気記録ヘッドへ応用されています。

 

1990年代に入ると、パソコンなどコンピュータ同士を通信ネットワークで結ぶ構想が注目され、この電子情報技術の革新の方向の中で、磁気センサは磁気ヘッドだけでなく環境センシングなどの機能も備えた情報センサの方向で意識されるようになりました。東海地域では、2005年愛知万博・2005年ITS世界会議での先端技術デモとしての「会場間の無人運転バス」構想が早くから検討され、屋外でも使用できる高感度でロバストなマイクロ磁気センサが必要になりました。

 

 名古屋大学は、この情報ネットワークへの科学技術とともに、自動車・ITS科学技術の高度化研究の社会的要請を強く意識する環境にあり、筆者の研究室では新規な高感度マイクロ磁気センサの創出を目指すことにしました。そこでまず、1970年代からの研究ツールであるアモルファス磁性体

(薄帯)、それを基礎に発展した1981年来のアモルファスワイヤの新規な磁性機能を探索することにしました。簡単には発見できないだろうが何かが出るだろう、との予感は持っていました。

 

 このアモルファスワイヤの新規な磁気センサ機能の探索は、まずユニチカ(株)内地研究員の川島克弘研究員(現愛知製鋼(株)スマートカンパニ、博士(工学、名古屋大学))が担当し、零磁歪系アモルファスワイヤにピックアップコイルを設置せず交流電流を通電する方式で実験を重ねました。その結果、ワイヤ両端間の交流電圧波形の中の微小なパルス電圧が外部磁界で変化することに気がつき、そのパルス電圧のみを選択する抵抗ブリッジ回路方式の高感度磁気センサ素子を構成しました。これはFGセンサなどで常識的になっていたコイルを使用しない高感度磁気センサであるため、欧米ではMagneto-Inductive element として、2017年現在なおISI論文引用件数が増えています。

 

 川島研究員の内地研究期間が終了し、このアモルファスワイヤ磁気センサ機能探索実験は、1993年4月から、同社の武士田健一研究員(現愛知製鋼(株)スマートカンパニ、博士(工学、名古屋大学))が引き継ぎました。そこで新たにアモルファスワイヤの交流通電電流の周波数の影響を探索しました。すぐに、未探索の高周波領域(約10kHz以上)では、抵抗ブリッジ回路が動作しなくなることが分り、ブリッジ回路方式を棄てて思い切り高周波電流の影響の探索に進みました。そこで5月19日、武士田研究員の実験グラフにこれまでの磁気技術では見たことのない特性が出現しました。武士田研究員は「離れた研究室入り口のスチールドアを誰かが開けると、波形が大きく変化する。」と言っていました。

 

 すぐに、当時当研究室に外国人研究員として滞在中の磁性理論物理学のDr. L.V. Panina (ソ連科学アカデミー上級研究員、現英国プリモス大学教授) と議論を重ね、武士田周波数特性実験データには、表皮効果のような現象が出ているらしいと気がつきました。急ぎLandau 電磁気理論の合金ワイヤのインピーダンスの式で表皮効果近似式を求め、ワイヤ円周方向透磁率の平方根でインピーダンスが直接変化することを確認しました。この新規な現象発見の衝撃は、武士田研究員のさらなる実験:アモルファスワイヤ(直径30ミクロン)の電極間長さを1mm程度に短くしても磁界検出感度が劣化しない、という結果で倍加しました。筆者は過去10年間FGセンサを研究し、高感度であるFGセンサでは磁気ヘッドを数mmより短くすると磁界検出感度が劣化することを知っていました。そしてFGセンサのこの基本的欠点で磁気記録ヘッドに使用されないことも知っていました。そこで、この新現象を「磁気インピーダンス効果(Magneto-Impedance effect)」と呼ぶことにしました。これまでにない高感度マイクロ磁気センサの新原理発見の瞬間です。

 

 この確信の下、早急にやるべきことは、研究のオリジナリティを確立する「特許の申請」です。当時の日本の大学ではこの感覚が薄く、折角の優れた研究成果のオリジナリティを欧米に掠め取られる事件がたびたび発生していました。当時の大学研究者は、新規発見をいち早く海外英文学術誌に投稿すればよい、という思い込みがあり、査読の段階でリークすることに気がついていない状態でした。筆者は当時同教室の名古屋大学の赤崎勇教授(現名城大学終身教授、2015年ノーベル物理学賞)を見習い、文部科学省独立行政法人科学技術振興機構JSTに明細書を郵送し特許申請を依頼しました。特許権は出願人のJSTに帰属しますが、研究の自主性の基盤は確立できます。

 

 この特許申請依頼を受けて、当時のJSTから有能な若手機構官の大日向拓二係長が名大の研究室に来学、筆者の説明を受けて、早速JSTの研究支援の提案を行ってくれました。国立大学の研究室にとってこの「国からの研究支援」は、大変勇気付けられるものでした。しかし、「この磁気インピーダンス効果はアナログ現象の発見であり、このままではディジタル志向の企業の技術者は関心を示さない。企業の技術者が関心を持てる電子回路技術(集積回路化可能な)レベルまで進むこと。」という条件つきでした。

 

 この提案は当時から欧米の大学研究者にとっては当たり前のものでしたが、筆者にとっては気の重いテーマでした。「科学技術は、大学教授が新原理を発見し、企業で技術開発・実用化されるもの」という観念が一般的だったからです。筆者は、1976-1977年の10ヶ月間、英国ウエールズ大学カーディフ校(ウオルフソン磁気工学研究所)に文部省派遣長期海外研究員として10ヶ月滞在しました。その間、Industry Day では企業人を招待した大学研究説明・展示会などがあり、日本のアカデミズム尊重の環境からみれば意外な感がある産学連携の姿を度々見てきました。産業革命発祥の国の大学の実態を垣間見た思いでした。

 

 幸運なことに、筆者の研究室に電子回路の好きな大学院生(菅野崇樹院生)が入ってきたので、早速上記のテーマに取り掛かりました。集積回路化が可能な高感度マイクロ磁気センサを目指し、マイコンタイミング回路のCMOSインバータマルチバイブレータ発振回路を用いることにしました。そこでp-MOS, n-MOS同時オン時の電源ラインパルス電流に着目し、このパルス電流をアモルファスワイヤに通電してみたところ、パルス立ち上がり時間が約 10 ns であり、丁度表皮効果が発生して、「パルス磁気インピーダンス効果」の発見に至りました。菅野院生は間もなく、CMOSインバータ発振回路の出力電圧をパラメータ可変の微分回路に通して、パルス磁気インピーダンス効果を発生させるパルス電流の柔軟な構成方法を見出しました。(菅野院生は、1997年度日本応用磁気学会論文賞に表彰) 磁気センサの出力回路側には、リニア磁気センサ特性を得るために、アモルファスワイヤにピックアップコイルを設置し、低域フィルタ回路を介してパルス電圧から直流電圧分を出力電圧とする従来のセンサ回路方式としました。

 

 なお、上記磁気インピーダンス効果を、1993年8月に仙台市で開催の8th Rapidly Quenched Metals Conference (RQ-8) で発表したところ、米国ボストン大学のProf. F.B. Humphrey (IEEE Fellow), 3M の Dr. K.V. Rao (IEEE Fellow、後Swedish Royal Institute of Technology 教授) が注目し、翌年IEEE INTERMAG’94, St. Louis の  Special Symposium on Magneto-Impedance 

が開催され、磁気インピーダンス研究が欧米を中心に世界に拡がっていきました。2017年現在も

INTERMAG のセッション名にMagneto-Impedance が出ています。(筆者はこの研究成果により

1995年IEEE Fellow に表彰され、2010年に IEEE Life Fellowとなりました。)

 

 さて、1993年のアモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果の発見から4年を経て、アモルファスワイヤパルス磁気インピーダンスCMOS電子回路による集積回路化可能な高感度マイクロ磁気センサ電子回路の構成に辿りついたため、JSTは1998年先端技術展開試験制度による「高感度マイクロ磁気センサ(MIセンサ)開発ハイテクコンソーシアム」を開催しました。国が仲立ちになって、アモルファスワイヤCMOS IC磁気インピーダンス効果磁気センサを企業に技術移転するためのコンソーシアムです。このMIセンサハイテクコンソーシアムは、名古屋大学と企業7社による共同研究開発組織体です。

 

この7社のうち、愛知製鋼(株)が1999年-2002年にJSTの委託開発制度により「自動車用磁気インピーダンス素子の開発」に取り組み、2002年に開発の成功認定を受けました。この間、開発過程でアモルファスワイヤCMOS IC MIセンサの温度安定性の向上が課題となり、筆者の研究室で

川尻直樹大学院生(現トヨタ自動車(株))と取り組み、SBダイオードからアナログスイッチ方式に替えて成功しました。そしてアモルファスワイヤCMOS IC MIセンサの締めくくりとして、蔡長梅博士大学院生(現愛知製鋼(株)スマートカンパニ)が無線方式の周波数変調MIセンサを考案し、2004年3月に博士(工学;名古屋大学)の学位を取得しました。筆者は2004年3月名古屋大学を定年退官しました(最後の大学国家公務員)。

 

 2000年12月18日、MIセンサの研究開発、販売を主な業務とする研究開発型の企業:アイチマイクロインテリジェント株式会社(AMI)が、愛知製鋼(株)の100%子会社として設立されました。当時の大橋会長殿が名古屋大学の松尾総長と面談、AMIを愛知製鋼と名古屋大学の連携の場となるよう提案され、松尾総長も精神面での全面協力に同意されました。筆者のAMI取締役就任(国立大学教授との兼業)もその席で合意され、3箇月後の人事院事務局長の辞令で実現しました。AMIの名古屋市天白区植田事務所の開所式では、柴田社長殿および名古屋大学工学研究科の後藤研究科長の祝辞がありました。AMIは、愛知製鋼と名大の連携の研究開発会社であり、2015年に15周年が記念されました。(愛知製鋼は2015年に75周年記念でした。)

 

 アモルファスワイヤCMOS IC MIセンサは、2002年のJST委託開発による愛知製鋼の「自動車用磁気インピーダンス素子」の開発成功後、2003年からは携帯電話用電子コンパスチップの開発を目指して半導体集積回路とのハイブリッドIC化の開発と量産技術の開発で同社は大躍進を成し遂げました。2005年の300万個から本格的量産が始まり、2011年からはスマートフォン用が加わって、2016年までの累計で1億5千万個とのことです。

 

 

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